追悼:チャック・ベリー/三つのレガシィ(遺産)

 

 

  偉大なロックンロールのパイオニア、チャック・ベリーが逝去して二週間が経とうとしている。

彼の死を伝えるニュース直後から、世界中のアーティスト達が追悼メッセージを次々とweb、SNS上に発信、それは昨年のデヴィッド・ボウイ逝去の時を上回る勢いだった。更に、現在ツアー中のバンド、アーティストはステージで哀悼の意を込めて、チャック・ベリーのナンバーを演奏している。

 デビューから60年以上経過した今もなお、これ程の影響力を持っているチャック・ベリー。彼の数々の伝説については、既に多くの方によって検証解説が行われているので、筆者が敢えて触れる必要もないだろう。そこで今回は、このコラムのコンセプト『初心者でも判るマニアックな視点』に基づき、チャック・ベリーがミュージック・シーンに残した三つのレガシィ(遺産)について書いていきたい。

 

 まず、チャック・ベリー独特のギター・スタイル。

 1926年セントルイスに生まれたチャック・ベリーは、当時の黒人家庭としては比較的裕福な家庭に育ち、早くから音楽に目覚め、ギターを手にしていたという。20代後半、ピアニストで後に彼のプロデューサー的な役割を果たすジョニー・ジョンソンと出会ったチャックは、ジョニーのバンド、サー・ジョン・トリオに加入する。1955年にチャック達のステージをたまたま観たマディ・ウォーターズは、それまで自分達がやっていたブルースとは違う、新しいサウンドに衝撃を受け、チェス・レコードのレイナード・チェスに推薦、チャックはチェス・レコードと契約を結びデビューする。この段階でチャックは、ジャズ、ブルースをベースとした独特のギター・スタイルを完成していたと考えられている。

 チャックのギター・スタイルで真っ先に挙げられるのが、彼のどの楽曲でも、イントロ、またギター・ソロで必ず聴かれるフレーズ、ダブルノート・ピッキングだ。この単弦ではなく二本の弦、複弦を鳴らすスタイルは、それまでフレーズは単音、という管楽器的な考え方に基づいた概念を覆すモノだった。コードを鳴らすリズム楽器としてのギターとブルース・ギターのフレーズ、そこにスライド・ギターの発想をプラス、更に弦を指で押し上げたり引き下げたりのチョーキング、ベンドも巧みに取り込んだ。多少の不協和音(コード構成上は外れているが、ジャズからのインスピレーションと考えられる)も含むこのスタイルで、サウンドのラウド感を増す事に成功した。

歌の間にリズムを刻む低音弦のリフ、ダブルノート・ピッキングも同様だ。これはブルースのウォーキング・ベースをそのまま応用したものだが、チャックはそれまでのポピュラーのリズム、4ビートをテンポアップし、更に細かいリズム、8ビートの原型となるリズムで弾いた。この新しいビートは、後のロックンロールのバックビートに繋がる。彼等のステージを観たマディは、相当ブッ飛んだに違いない。

 後にチャックが人種差別による不当な逮捕によってキャリアが空白となった間、チャックのサウンドは大西洋を渡り、60年代のブリティッシュ・ビートグループに受け継がれ、進化を遂げていく。そして70年代以降、パンク、ヘヴィメタル他、あらゆるロックのジャンルの中に織り込まれていく。多少ギターをかじった人でも、日頃さりげなく弾いているロックっぽいギターのフレーズ。その殆どがチャック・ベリーに起因しているモノなのだ。

 

 続いてはステージ・パフォーマンス。

 それまでのステージング、ジャズやブルースのステージは、ヴォーカル以外はあまり動かず(そのヴォーカルもマイクの前から動かない)、ひたすら演奏するスタイルで、せいぜいソロ・パートの時に立ち上がる程度だった。チャックのようにギターを歌のイメージに併せて自在に操り、ダッグ・ウォークでステージを縦断するパフォーマンスは、当時は異例だった(これは想像だが、当時ブルース・ギタリストのTボーン・ウォーカーがギターの背面弾き等、派手なパフォーマンスをしていたので、もしかしたらチャックはTボーンのステージにヒントを得たかも知れない)。

 当時のチャックは、ミュージシャンが本来持っているオーディエンスを楽しませるショー・マン的要素、所謂プロ意識が強く、観せる事、楽しませる事に関して相当意識していたと考えられる。そのパフォーマンスは、後に到来するテレビの時代を認識していたかのようにも見える。チャックのギターを持ちながら歌うステージ・パフォーマンスは、ライヴそのものを“聴かせる”から“観せる”、そして“魅せる”ステージに変えていった。ジミ・ヘンドリックスのパフォーマンスはチャックの進化した姿だ。現在、我々が観に行くライヴ・ステージのパフォーマンスに、かつてチャックの披露したステージ・パフォーマンスの要素を垣間見る事ができる。

 

 そして最後はコンポーザーとしてのチャック・ベリー。

 ロック好きの方、特にバンドをやられている方なら既に御存知だと思うが、チャックの作曲したナンバーの殆どは3つのコード(和音)で作られている。ブルース、ジャズから起因した3つのコード進行、所謂3コードと呼ばれるスタイルだ。チャックは彼独特のギター・スタイル、そして曲のテンポ、リズムのスピードを巧みに変化させ、3コード・スタイルを一部のマニアの世界から、ロックンロールに昇華させた。難しい音楽理論や理屈はいらない、コードを3つ知っていれば誰でも曲が作れる、というチャックが創造した無限の可能性は、後にロックを志す多くの若者に勇気を与える事となる。まさに「ロール・オーバー・ベートーヴェン」だ。現在この3コード・スタイルは、ロックンロールだけに留まらず、ポピュラー・ミュージックでも通じるスタイルとなった。

 そして、作曲と同時に重要なポイントとなるのはチャックの歌詞だ。それまでのポピュラー・ミュージックの歌詞は、恋愛ネタでも日常ネタでも大人が作ったテーマによる大人の世界、或いは夢の世界の歌だった。また、ブルース等の黒人音楽はセクシャルなモノ、差別についての悲哀をダブル・ミーニングで暈した内容が多く、第二次大戦後、新たな“何か”を求めていたティーン・エイジャーには現実的では無かった。そんな時代に、チャックはティーンが最も関心のある恋愛、クルマ、パーティー等、学園生活をテーマにした歌詞を作り、ジャズのビ・バップ・スタイルの応用である一つの音に複数の単語をぶち込む早口で歌った。初めて聴く等身大の歌詞を、スピード感溢れる爆発的で判り易いサウンドに乗せて歌うチャックを、全米、そして豊かなアメリカ文化に憧れていたイギリスのティーン達は人種の壁を乗り越え熱狂的に支持したのだ。

 チャックのティーンをテーマにした歌詞は、60年代にはビーチ・ボーイズ等多くのミュージシャンに引き継がれ、現在もロックの歌詞のプロト・タイプとなっている。また、チャックの歌詞は、歌いたい事を歌う”言葉の自由”を産みだした。ボブ・ディラン、ジョン・レノン他パンク・ロック、その他多くのミュージシャンに“言葉の自由”という影響を与えた。今、ロックが自由なのはチャックの歌詞があったからだ。

 

 チャック・ベリーの登場後、いつの間にかロックンロールという呼び方は略され、ロックとなり、ジャンルが細分化され、ポピュラー・ミュージック=ロックとなっていった。現在、彼が世界中にばら撒いたレガシィは、時代と共にカタチを変えながら、我々ロック・リスナーの日常に息づいている。まさに”Music will never stop”だ。

 

Text by 金子ヒロム