『ブルー&ロンサム』でも8ビートにコダワリ続けるチャーリー・ワッツ

 

 

 ローリング・ストーンズの最新アルバム『ブルー&ロンサム』は御存知の通り、全曲ブルースのカヴァーだ。このアルバムでのチャーリー・ワッツのドラミングはいつものストーンズのビートだ。特に2曲目のハウリン・ウルフのナンバー「コミット・ア・クライム」のイントロのドラムは、思わずハッとさせられる。チャーリーの8ビートへのコダワリが強く感じられる一曲だ。

 このようにストーンズでは一貫して8ビートにこだわり続けるチャーリーだが、彼のソロ・アルバムを聴くと、同じ人間が叩いているのか?と思うくらい多種多様だ。そこにはストーンズのビートとは違う、不器用に見えて実は非常に器用なドラマー:チャーリー・ワッツのビートが存在している。

 

 ロンドン北部の町、イズリントンに産まれたチャーリーは、ロー・ティーンの頃、既にジャズに興味を持つ。それまでのチャーリーは、絵を描いたり、抜群の運動神経を活かしてスポーツで才能を発揮する健康的な少年だったが、両親から小型のドラム・セットをプレゼントされ、より一層ジャズにのめり込んでいく。

 学校を卒業したチャーリーは、広告代理店のグラフィック・デザイナーとして働きながら、夜はクラブでジャズ・セッションに参加しドラマーとしてのキャリアを積んでいく。折しもロンドンのミュージック・シーンはモダン・ジャズがブルースと並んで最先端となっていた。徐々にドラマーとして知名度をあげていったチャーリーは、アレクシス・コーナーの主宰するブルース・インコーポレットのセッションに参加するようになる(ブルース・インコーポレットはブルースだけでなく、モダン・ジャズも演奏していた。ブライアン・ジョーンズもブルース・セッションでギターを弾くだけでなく、サックス・プレイヤーとしてセッションにも参加していた)。アレクシスにそのドラミングを認められたチャーリーは、ブルース・インコーポレットのレギュラー・ドラマーとなる。アレクシスから他のバンドでの仕事も紹介されるが、全て断り続けた。セッションならばOKだが、バンドを掛け持ちしてまで固定メンバーになる事を嫌がったのである。なぜなら昼間の仕事、グラフィック・デザイナーの仕事を最優先していたからだった。チャーリーは明日をも知れぬミュージシャンの仕事よりも、安定した生活を望んでいたのだ。

 

 そんなチャーリーにアレクシスは、ブライアンがリーダーとして結成したバンドでドラムを探しているので、是非参加して欲しいとチャーリーに勧める。チャーリーは既にブライアンの事はアレクシスのセッションを通じて知っており、その演奏技術の高さと、強い上昇志向は理解していた(ミック・ジャガーやキース・リチャーズの存在もこのセッションを通じて既に知っていた)。ロンドン中のバンドが欲しがったチャーリーをメンバーにする為、ブライアンも相当なハッタリもカマしたのだろう、直接オファーを受けたチャーリーは、その情熱に根負けして最終的にローリング・ストーンズへの加入を決める。

 

 ストーンズに加入したチャーリーは、それまでのジャズのビートとは違う、ストーンズが標榜する新しい性急な8ビートに最初はやや戸惑ったと思われるが、インタビューで知られる通り、キースがロックンロールやブルースのビートをチャーリーに教えた事によって、チャーリーはすぐにストーンズに適合していった。60年代のストーンズのライヴにおけるドライヴ感は、チャーリーのドラムに依るところが大きい。更にブライアン脱退後、ミック・テイラーが加入してからのチャーリーは、リズムにこだわったギター・スタイルに変化したキースのギターに併せて叩くようになり、それによって独特のストーンズのグルーヴが確立していく。ロック・ドラマーとしての顔を持ったチャーリーは、ビル・ワイマン、エリック・クラプトン、スティーヴ・ウィンウッド等が参加した1971年リリース『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』では、ブルース・インコーポレト時代を思い出したのかシカゴ・ブルースのグルーヴも見事に表現している。

 

 しかし、ルーツをジャズに持ちながら、何故対極の音楽であるストーンズに50年以上も在籍し続けられるのか。

 ブライアンやミックのようなブルースのマニアでもなく、キースのようにロックンロールやソウルにインスパイアされた訳でもない。そこには彼にとっての未知の音楽をプレイする事への興味、探究心がある。レゲエ、ディスコ、ヒップ・ホップと時代毎に新しいサウンドにチャレンジするストーンズの中で巧みに適合しながらも、60年代からのストーンズのベース:8ビートにコダワるチャーリーのドラミングは、ストーンズってコレだよ、と常に聴く者にイメージさせてくれるのだ。

 同時にチャーリー自身がメンバーでありながら、ストーンズというバンドを客観的に見続けている事も大きい。常日頃から、自分はジャズ・ドラマーであり、たまたまストーンズに居るだけだ、ストーンズがなければドラムを叩く場所がない、と公言している。即ちチャーリーこそがメンバーの中で唯一、外からの目線でバンドを見られる貴重な存在なのだ。其れ故にバンドの楽曲に対しても的確なビートのアドバイスをもたらしてきた(当初レゲエ・アレンジでボツ曲だった「スタート・ミー・アップ」を8ビートによってスタジオで蘇らせ、一躍ストーンズの代表曲にしたのもチャーリーのアイデアと言われている)。今回の『ブルー&ロンサム』リリースに関するインタビューでも、ストーンズはブルースを演奏させると上手い、こういったカヴァー・アルバムを出すべきだとずっと思っていた、といった主旨の発言をチャーリー自身がしている事も、バンドを客観的に見ている証だ。ライヴのメンバー紹介でチャーリーの名前が呼ばれると、オーディエンスの大歓声と共にメンバーが畏敬の念を現すポーズをするが、実は満更な事ではないのだ。

 また、元グラフィック・デザイナーとしてアートへの造詣が深いチャーリーは、ツアーにおけるステージ・セットのデザイン、更にツアー・グッズのデザインでも才能を発揮している(余談だが筆者が前職時代、ストーンズ2003年の来日公演において、日本公演限定グッズに日章旗を施したデザインのベロ・マークTシャツがあった。実は来日前にストーンズ側から全てのグッズ・デザインが送られてきていて、このTシャツのデザインは問題ないか?と確認が入った事がある。当初このデザインは単なる日の丸だったが、デザインの最終確認でチャーリーが自ら赤いペンでラインを入れ日章旗にしてしまった、彼はこのデザインを大層気に入っているが、我々からするとこのデザインは”カミカゼ”をイメージしてしまう、日本のファンにコレで受け入れられるのか?といった内容だった。こちらは当然“問題ない”と返答。そのTシャツは無事に販売された。但しこのTシャツのツアー会場のプリントは当時の呼称であるOSAKA DOMEではなく、OSAKA STADIUMと間違ったままで販売された)。

 

 派手に動き回る個性豊かなメンバーの後方から、寡黙にドラムを叩き続けるチャーリーは、まさにストーンズの扇の要。そのドラミングはストーンズ・サウンドのグルーヴにとって換えのきかないビートであり、チャーリー抜きのストーンズは最早考えられないし、彼なくしてストーンズはここまで続かなかった。来年はストーンズ55周年と同時にチャーリーは76歳になる。現役最高齢のロックバンド・ドラマーとして、いつまでもブレずに8ビートにコダワっていてもらいたい。

 

Text by 金子ヒロム