『ブルー&ロンサム』でブルースマニアだった少年時代に還ったミック・ジャガー

 

 ローリング・ストーンズの最新アルバム『ブルー&ロンサム』でミックのブルース・ハープが炸裂している。今回のブルース・カヴァー・アルバム『ブルー&ロンサム』は、まさにミックのアルバムといって良いだろう。

 

 ローリング・ストーンズの曲で、ミックのブルース・ハープが真っ先に思い浮かぶのが、ライヴでもハイライトとなる「ミッドナイト・ランブラー」だろう。この曲の収録アルバム『レット・イット・ブリード』がレコーディングされた1968年から1969年、まだブライアン・ジョーンズはかろうじてストーンズに在籍していたが、殆どスタジオには現れなかった。この「ミッドナイト・ランブラー」はミックとキース・リチャーズ、チャーリー・ワッツ、ビル・ワイマン、そして珍しくスタジオに現れたブライアンが参加したデビュー・メンバーによる最後のレコーディング曲である。「ノット・フェイド・アウェイ」や「恋をしようよ」で素晴らしく攻撃的なブルース・ハープを吹いたブライアンは、この曲ではパーカッションのみプレイ。ミックがストーンズのブルースをブライアンから奪った瞬間だ。

 

 父親が教師で比較的恵まれた家庭に産まれ育ったミックは、少年時代、後のブリティッシュ・ビート・グループのメンバー達と同様ブルースに取り憑かれていた。レコード屋に通い、店に置いてあるレコードでは飽き足らず、カタログを見ながらシカゴ・チェス・レコードからマディ・ウォーターズ、リトル・ウォーター、ハウリン・ウルフ等のアルバムやシングルをわざわざ海外通販で取り寄せていた。現在でも少々面倒、当時なら更にリスキーな海外通販までしてブルースのレコードを聴きたかったミックは、ブルースのオタクとなっていた。

 

 ミックが少年時代を過ごした1950年代のイギリスは、第二次大戦終結後、戦勝国でありながら未だに大戦の後遺症が随所に残り、決して豊かな国ではなかった。そこにアメリカの豊かな文化、ファッション、娯楽が大西洋を超えてどっと入って来る。特に音楽は、ポップス、ロックンロール、そしてブルースも上陸。当時のイギリスの状況を例えるならば、ロックンロールから進化した多種多様なロックが一気に入って来た1960年代後半の日本に近いものがあったのではないだろうか。リスナー、特にティーン・エイジャーにとって、とにかく全てが新鮮で、アレも、コレもの状況だったと考えられる。そういった中、ミックはブルース以外の当時の最新チャートもチェックしており、1958年バディ・ホリー英国公演をしっかり観に行っている。ブルースに惹かれながら、まだ十代半ば。いろんなモノに興味を持つ事は必然だった。

 

 ブルースにどんどんハマり、聴くだけでは満足できなくなったミックは実際に演奏してみたくなった。18歳の時に友達でブルースとロックンロールが好きなディック・テイラー(後にプリティ・シングス)、そして久し振りに再会した幼馴染のキース、学校の仲間達を集め、リトル・ボーイ・ブルー・アンド・ザ・ブルー・ボーイズというバンドを結成する。

 「じゃあ次はハウリン・ウルフやらない?」

 「ああ、それもいいけどさ、やっぱりコレだろ!」

 ミックからの提案に対し、強引にチャック・ベリーのイントロを弾き出すキース。こんな遣り取りがあったか定かではないが、このバンドが実際に演奏していたのはブルースではなくチャック・ベリーや当時のヒット曲ばかりだった。ミック、キース、ディック・テイラー以外のメンバーも流動的。演奏する場所はパーティー・レベルとあくまで学生バンド、完全なアマチュアの域を出ていなかった。ブルースを演奏する事よりも、バンドで歌う事の楽しさが、この時のミックには重要だったのかも知れない。

 

 やがて奨学金を受けてロンドン経済大学へ進学したミックは、自らの将来の姿をイメージしつつ、暇な時に地元で友達とバンドをやる、まさに青春を謳歌していた。しかし、アレクシス・コーナーの主宰するブルース・インコーポレットのギグを観に行った夜、彼の人生は大きく転換する。ブライアン・ジョーンズとの出会いだ。既にセミプロ・レベルのキャリアを積んでいたブライアンのブルース・ギターに衝撃を受け、少し年上だけどこの人ならリアルなブルースの話が出来る、もしかしたらブルースがやれるかも知れない、とミックは感じたのだろう。一方ブライアンも、年下ながらミックのブルースへの造詣の深さに驚き、バンドで歌っている、と言うミックにブルース・バンドを作る話を持ち掛ける。その出会いがそのままストーンズ結成に繋がっていく。

 さて、実際に始まったストーンズだったが、ミックのヴォーカルはアマチュア趣味レベル。ブライアンは次第にミックに対して、知識だけで技術が伴っていないアタマでっかちと思うようになり、ブルース・インコーポレットのセッションで歌うように仕向けて相当シゴいている。そのせいか、デビュー時の写真、映像を見るとミックはどこか自信がないように見える。ブルースを演奏する上での必須アイテム、ブルース・ハープ、スライド・ギターは、ストーンズにおいてリーダー:ブライアンがほぼ独占となった。

 

 このバンドを何とかしたい、というブライアンの努力もあって、なんとかデビューに漕ぎ着けたストーンズに、マネージャー兼プロデューサーのアンドリュー・ルーグ・オールダムからミックとキースのソング・ライティングコンビを、という命令が下る。ビートルズの元宣伝マンだったアンドリューは、レノン&マッカートニーのコンビが巨額の富を生み出す様を目撃、ストーンズでもそれを応用したかった。更に自分と同い年のミックとキースが、年上のブライアンより友達感覚でコントロールし易いと思ったのだろう。この命令にミックは作詞において才能を発揮、ブルースから引用したキワどい内容とストレートな表現、若者ならではの鬱屈感を巧みに韻を踏んで歌に乗せるようになる。またステージの場数を踏むうちにヴォーカリストとしての新しいカタチを模索、ジェームス・ブラウンのステップを取り入れたり、マイクスタンドを振り回したり、とステージ・パフォーマンスに重きを置くようになる。自信を取り戻したミックはストーンズの顔となっていった。

 

 1967年、アルバム製作中、ストーンズはすっかりドラッグ漬けになっていたアンドリューとのマネージメント契約を解除。ミックはマネージメント、プロデュース他バンドの運営全てに関わるようになり、キースと共にストーンズを転がし始める。以後、紆余曲折ありながら現在に至っているが、ローリング・ストーンズというバンドを運営し、幾つかの失敗もしながらもバンドを存続させたミックは、バンド・キャリアと共に成長した音楽面とは別に、経営者としての才能を発揮してきた。彼のソロ・アルバムや映画事業が今ひとつだったとしても、ストーンズのミック・ジャガーとは違う、ストーンズでは難しい事にチャレンジする姿勢は、経営者ならば新たな事業の可能性を探る上で大事な感覚だ。

 

 セルフ・プロデュースでストーンズが動き始めて以降、リリースするアルバムには必ずブルース、もしくはブルース的な曲が一曲は入っている。またミックのソロ作品では1992年にザ・レッド・デヴィルスとレコーディングしたサニー・ボーイ・ウィリアムソンIIのカヴァー「チェッキン・アップ・オン・マイ・ベイビー」のような、ド真ん中のブルースもやっている。

 しかし、何故、今、全曲ブルースのカヴァーなのか?今回ストーンズのメンバーのインタビューを読む限りでは、どこか暈した印象もあるが、最大の理由はミックがブルースを思い出したからでは?と考えられる。来年で結成55周年を迎えるストーンズは最早全てをやり尽くした感は否めない。バンドの経営者でもあるミックにとって、あまりよろしく無い状況でもある。最初は趣味で始まり、それが会社になって事業として成功した、所謂ロックのヴェンチャー企業とも言えるストーンズ。本来自分が好きだったモノ、演奏したかったモノ、それを思い出したのはミック自身だ。ロックの世界で常に話題を提供し続けてきたストーンズとして、新たな何か探すうちにミック自身の原点であるブルースに改めて着目したのではないだろうか。

 

 『ブルー&ロンサム』で、ミックの生き生きとブルースを歌う声とブロウするブルース・ハープを聴いていると、レコード屋のカウンターでカタログにチェックを付け、遥か遠くのシカゴにワクワクしながらメールオーダーしていた少年時代のミックの姿を想像する事ができる。
 彼はかつてブルースマニアだった少年時代を思い出しながらストーンズの”次”を模索している。

 

Text by 金子ヒロム